今日は母の65回目の誕生日です。2001年の12月8日に亡くなりました。
生前の母は、超が5倍つく程ポジティブで、アクティブな人でした。“はじめてのお使い”という番組ありますよね。小さい子供が生まれて初めておつかいを頼まれ、悪戦苦闘するというやつ。子供の頃の私は、手ぶらで帰ってくることが許されませんでした。「どうしてお店の人に聞かないの?なんのためにお口がついているの?」と、ちゃんと買ってくるまで何回も店に行かされました。超スパルタ。。。 (@_@)
そして、『れば』『たら』は、母の大嫌いなフレーズでした。「『○○してれば』『○○してたら』って過去を振り返ってもしょうがないでしょ?過去には戻れないんだから。今どうしなきゃならないのかを考えなさい!」サバイバルな子育て法ですよね(~_~;)
母の死因は、胆管細胞癌でした。胆嚢と肝臓をつないでいる管があるのですが、そこだけが癌に侵されてしまうものです。その管は、胆嚢から伸び、肝臓の中まで通っています。その関係で、肝臓も侵されていってしまいました。亡くなる7ヶ月前くらいから不調を訴えていたのですが、ずっと何が原因かわかりませんでした。胃が痛いからと胃癌の検査をしたり、腸が張るからと大腸癌の検査もしたのですが、両方とも違う、と言われ。。。今考えると、肝臓が肥大して、周りの臓器を圧迫していたからなのですが。10月の初めにやっと判明した時は、もう手遅れでした。肝臓は唯一再生する臓器なので、癌が半分以下なら手術して切ることができるのですが、3/4癌だったので、もうムリ。。「お母さんなら告知しても大丈夫。本人にちゃんと病名言った方がいいよ」と告知否定派の父を説得し、本人に話すことに。30枚以上の、輪切りになった、ほとんど癌状態の自分のCTスキャンを見ながら、母は毅然としていたそうです。
「余命1ヶ月」と聞き、私は当時、長期で働きはじめていた派遣先を事情を話して辞め、両親の家に行きました。残された時間、母と話すために。超ポジティブ人間って、周りに活力を与えるんですよね。よく燃料切れになってきたな、と思うと、母のところに行ってチャージしていました。診断どおり1ヶ月で亡くなるのなら、毎日パワーを浴びて充電しておかなければ、、と考えて。
母とは1ヶ月半たわいもない話を朝から晩まで毎日していました。サッカーの川口がかっこいいだの、藤木直人はイケメンだの。勝手に弟の部屋に入って物色したり。。「いつも、この辺に写真が束になってあるのよ。どの娘が今の彼女かしら?」「あ、こんなとこに夏のボーナスの明細がある。いくらもらってるんだろ。あんた、ちょっと開けてみて。こんなとこにポイッて置いてあるくらいだから、本人忘れてるわよ」おいおい、弟にはプライバシーってもんはないのか。。??(^~^;)ゞしかも自分は手を染めずに、開封作業とか全部私にやらすんだもんなぁ。。(苦笑)
告知を受けてから約1ヶ月半後、母は亡くなりました。家中、まるで灯が消えたように暗くなりました。強いショックな出来事があると、PTSDになるって本当ですね。何を食べても砂の味がし、突然涙がこみあげてくることがあったりしました。母と娘が電車で仲良く会話しているのを見かけると、いたたまれなくなって、車輌を変えたこともありました。
あれから5年。。。小泉総理の任期もそろそろ終わりですよね。「今度総理になった、小泉さんは何かやってくれるのかねぇ」と母が話していたのが、ついこの間のようです。この5年の間に、私もいろいろありました。くじけそうになったことも何度か。。W(゚o゚)w
マイナス思考にしかならない、「れば、たら」。分かってはいても、つい言ってしまうんですよね(苦笑)。もう母のパワーを実際には受けられなくなってしまったんですけど、せめて「れば、たら」を使わないように、前向きに生きていこうって思っています (#^_^#)
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