愛子さまのバースデー♪
「愛子さまが6歳になりました」と、皇太子ご夫妻の映像と共に、愛子さまの映像がTVで流れていました。愛子さまが誕生された日の朝、当時、末期の胆管細胞癌だった母は、大量の吐血と下血で救急車で病院に搬送されました。たまたま泊りがけで遊びに来ていて、病院までつきそってくれた母の姉に「お母さん、やばいよ。さっき、やっと血が止ったの。早くこっちに来た方がいい。」と電話で言われ、慌てて病院まで行ったのが、つい昨日のようです。「肝臓は血を止める働きもしています。お母さんの肝臓は100%癌におかされてしまったので、血が止らない状態になりました。今、肝臓と同じ働きをする薬を投与しているのですが、1週間ほどしたら、効かなくなります。その時、もう別の薬はありません。」と担当医から最後通告を受けました。その後、個室(超社交的な母は大部屋を希望していました。が、状態が非常によくない患者は、他の入院患者の影響を考えて病院側が個室にするそうです。母には個室しかあいてなかった、と父が説明したそう)に簡易ベッドを入れてもらい、父と弟と私と毎日交代で、1日ずつ母と一緒に泊まりました。
「ブロッコリーに焼肉のたれつけるとおいしいのよぉ」と、いつものように突然話をはじめる母。「お母さん入院して何日目?ふぅーっ。なんで良くならないのかねぇ。。」と私に質問してきたり、「これ何ですか?」と自分の指にはめられた心電図サックのようなものを指差して看護婦さんに聞いたり。もう食欲がなく、ずっと点滴だったので、日ごとに声は小さくなっていくけれども、意識はしっかりしていました。
「胆管と肝臓以外には癌は広がっていません。他に転移はしていませんよ。よかったですね。」と担当医から言われているのに、その頃初版がでた、元アナウンサーで、リンパの癌になったクワ ヒトミさんの本を読んだ父は「お母さんは意識が朦朧としてきたようだ。何を言っているのか、さっぱり分からない。突然料理の話をしだしたりするんだよ。錯乱状態になってきてるのかも。」と、しきりに言います。「クワ ヒトミは癌が脳に転移したから錯乱状態みたいになったんだよ。お母さんは、どこにも転移してないって先生が言ってたじゃん。普段からコロコロ話が突然変わってるから、普段どおりだよ」と説明しても、クワ ヒトミが全てのバイブルになってる父にはよく分からない様子。普段から飛ぶ話に慣らされている弟と私は、フツーに会話していて、父だけが蚊帳の外という感じでした。そんな父は、写真嫌いで自分1人で写ってる写真がほとんどない母のために、こっそり油絵を描いていたようです。葬儀の時に飾るようにと。
「こないだ入院費用として100万渡しちゃった。お父さんてば、じゃんじゃんお金使っちゃうんだから。お金の隠し場所教えたよね?お金の管理はあんたがやってね。」と、私が泊まりの日に、いろいろ段取りを教える母。お金の管理は全部母がやっていて、父は変則こづかい制だったので、私に託した模様。管理していた母が入院することになったら、父はちゃんとやってたようですが。。(^^;
愛子さまが生まれて、ちょうど1週間目に母は亡くなりました。愛子さまの誕生日を毎年ニュースでやるたびに思い出すだろうなぁ、、って当時ふと思っていたのですが、やっぱり思い出しちゃいました。母と過ごした楽しかった日々と共に。。。
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コメント
きっかけとなるKEYのようなものってありますよね。
その出来事を目にしたり、聞いたりすると、当時のことが走馬灯のように鮮やかにぱーっとよみがえってくることが。。。
素敵なお話ありがとうございました。
投稿: ホッピィ | 2007年12月 4日 (火) 04:41
「状態が非常によくない患者は、他の入院患者の影響を考えて病院側が個室にするそうです。」というところ、肺ガンで入院していた父のことを思い出しました。
「あそこに行く人はあの世に行く人だ」そう言って、大部屋からナースステーションの奥にある個室への移動を拒んだそうです。ガンに侵されていなかった片肺に肺炎を起こしてしまい、前の晩にひどく咳込んでいたため、母の説得に、自分の咳が他の人の迷惑になってはいかんな、と自分で納得して移って行ったそうです。それは、本当にこの世を去ってしまうことになるほんの半日前のことでした。病室を移って行く時の父の気持ちを思いはかると、3年経った今でも胸が締め付けられます。
今日、出張でアムステルダムからアテネに移動してきました。父が亡くなった半月後にもフランクフルトへの出張がありました。意識にはまったく問題のなかった父だったのに「今度のお前の出張はいつだっけ?」「どこへ行くんだっけ?」と顔を合わせる度に何度もきいてきました。きっと自分の最期がその頃にあるのではと予感していたのではないでしょうか。
アムステルダムの空港は、地下が鉄道の駅になっていて、大きな荷物をたくさんカートに載せた人たちの出会い、別れのシーンをよく見かけます。 その中に同じ様に大きな荷物を載せたカートを押して、「それじゃ、行ってくるよ」と父が(あの世に向かう)列車に乗り込むような姿をダブらせてしまい、この空港の人たちと同じように、そんな父を思い切り抱きしめてあげることができたらな・・・と、ここに来る度にいつもそんな想いをめぐらせてしまうのは、ホッピィさんの「愛子さまのバースデー」の思いと少し似ているのかもしれませんね。
投稿: jfk(just_for_kids) | 2007年12月 2日 (日) 14:04